静雄が『竜ヶ峰帝人』という存在と出会ったのは静雄が小学四年生の時だった。


 その日、静雄は学校が終わったあと一人公園にいた。


 いつもなら弟の幽とともに下校するのだが、学年が上がり、時間割が食い違ってしまったこともあって、その日静雄は一人で下校することになってしまったのである。


 公園に寄り道しようと思ったのは、なんとなく目に留まったから。


 決して家に帰りたくないわけではなかった。


 本当に、なんとなく。


 久しぶりにブランコにでも乗ってみようかな、と思っただけ。


 乗った瞬間、後悔したけど。


 「これ、俺がこいだら壊れるよな・・・」


 ブランコの椅子に座りながら静雄は言った。


 漕ぐこと自体に問題はないと思うけれど、鎖を握った瞬間に鎖が捻じ切れてしまうのではないだろうか、と思う。


 普通の小学四年生ではいくら手に力を入れても鎖を捻じ切ることは不可能だろうが、残念ながら静雄は力とキレやすさだけは普通とは言いがたかった。


 標識を引っこ抜いたり、冷蔵庫を持ち上げたり。


 そんな力を『普通』とは呼べないことを静雄は知っていた。


 きっと静雄が力を入れた瞬間にこのブランコは使い物にならなくなるだろう。


 結果、静雄はただ座っていることにした。


 座っているだけなら壊せるはずはない。


 当初のブランコに乗る、という目的は一応果たせているような気もしないでもないし。


 ただ問題があるとすれば、


 「暇だな・・・」


 その一言に尽きた。


 というか、自分はいったい何がしたかったんだ。


 「帰ろっかな」


 そろそろ日も落ちる頃だし。


 そう考えて、静雄はブランコの椅子から腰を上げた。


 「あれ、帰っちゃうの?」


 そんな声が聞こえた。


 静雄のすぐ隣から。


 冷や汗が背筋を伝っていくのを感じる。


 おかしい。


 おかしい。


 誰かがいるはずがない。


 だって、普通隣に誰かがいたら、気付くだろ。


 そうは思っても、だ。


 声が、聞こえたのだ。


 すぐ隣から。


 ということは、今静雄の隣には『誰か』がいるということで。


 その、誰かが、今静雄に話しかけた、ということで。


 静雄は自分の首がぎ、ぎ、ぎと鳴る音を聞きながら、恐る恐る自分の隣、『誰か』の声がした方を見た。


 そこには、静雄を見て微笑んでいる、男がいた。


 男といっても、静雄から見て中学生くらい。


 つまり、世間でいう『少年』に値するような存在。


 そんな男が先ほどの静雄と同じように、静雄の隣のブランコの椅子に座っていた。


 「え、と、こんばんは」


 「・・・・・・・・・こんばんは」


 いきなり挨拶をされた。


 見知らぬ中学生に。


 何だ、これ。


 「あの、大丈夫?」


 いきなり心配された。


 見知らぬ中学生に。


 何だ、それ。


 「おーい」


 「あ、はい」


 「大丈夫?」


 「・・・・はい」


 静雄が肯定すると、隣の中学生は、そう、良かった、と微笑んだ。


 何だか、その笑顔に安心した。


 同時に、混乱していた思考が元に戻り始める。


 結論、とりあえず、隣の中学生は良いやつっぽい。


 「さっきからずっと思ってたんだけど、君、こんなところで何してるの?」


 「・・・・ちょっと、ブランコに乗ろうと、思って」


 「漕がないの?」


 「いや、壊すかなって」


 「壊す?」


 きょとん。音を付けるならそんな風に中学生は首をかしげた。


 『壊す』という言葉と静雄が繋がらないらしい。


 それもそうか、と静雄は思った。


 『普通』の小学生で、ブランコを漕いで、壊すヤツなんてそうそういないのだから。


 やはり、自分は『普通』ではないのだ。


 改めて、自分という存在が『異常』であると思い知らされ、静雄は俯く。


 そんな静雄の耳に中学生の声が吸い込まれた。


 「え、と。 それはつまり、君はこのブランコを壊せるってことだよね?」


 だからそうだって言ってるだろッ!!


 そう怒鳴ろうと相手を見た瞬間、静雄は目を見張った。


 中学生は、笑っていた。


 まるで、キラキラしたものを見るみたいに、笑っていた。


 その反応に静雄が唖然としていると、中学生はもう一度口を開いた。


 「すごいね、こんな大きなものを壊せるなんてッ!!」


 「・・・・・・別に、すごくなんかない」


 静雄の声が翳ったことを察したのか、中学生はどうして?と静雄に問うた。


 静雄は、心の中にある膿をぶちまけた。


 すごくなんかない。


 こんな力があるせいで、弟に怪我をさせるところだったッ!!


 こんな力があるせいで、クラスメイトに怪我をさせるところだったッ!!


 こんな力があるせいで、優しくしてくれた人に怪我をさせたッ!!


 こんな力があるせいで、何も何も守れなかったッ!!


 こんな力があるせいで、壊すことしかできなかったッ!!


 もう嫌だ。嫌なんだ。守れないのも壊してしまうのももうたくさんだッ!!


 中学生は黙って、静雄の言葉を聞いていた。


 目が霞む。


 ああ、自分は今泣いているのか。


 まだ名前も知らない人間の前で泣いてしまうなんて。


 静雄は乱暴に目を拭おうとした。


 拭えなかった。


 いつの間にか目の前にいた中学生が優しく静雄の目じりを拭っていた。


 とても、悲しそうな顔をして、拭ってくれていた。


 「そんな、自分を傷つけるようなこと、言っちゃだめだよ」


 目の前から聞こえる優しい声は、染み入るように静雄の耳に入ってきた。


 静雄は、もう一度泣いた。


 思いっきり泣いた。


 中学生は、ただ静かに、静雄の涙を拭い続けてくれた。


 目が覚めると、そこには見慣れた天井と見慣れた弟の顔があった。


 呆然としている静雄に、幽はいつもと変わらぬ無表情で、静雄に問うた。


 「目、覚めた?」


 「・・・・幽?」


 静雄が名前を呼ぶと、うん、と幽は言った。


 表情は変わらないが、静雄には、幽が笑っていることがわかった。


 「心配した。兄さん、なかなか起きなかったから」


 「・・・・心配かけて、ごめんな」


 「いつものことだけどね」


 幽の言葉に苦笑しながら、静雄は少し考える。


 そういえば、自分はどうやって帰ってきたのだろう。


 もしかして、先ほどまでの出来事は全部夢だったのか。


 そう思い、肩を落とす静雄に幽は言った。


 「そうだ、兄さん」


 「・・・・なんだよ」


 「ちゃんと、お礼言ったほうがいいよ」


 「は?」


 「呆れた。覚えてないの?」


 「なにが?」


 「昨日、兄さんなかなか帰ってこなかったから探しに行ったら、兄さんが公園で中学生くらいのお兄さんにもたれ掛かって寝てるのを見つけた。で、あまりにも気持ちよさそうに寝てるから起こすのもしのびなくて、その中学生くらいのお兄さんに家までおぶってきてもらったんだよ」


 「それ、ほんとかッ!?」


 「うん。ほんと」


 どうやら、夢じゃなかったらしい。


 ということは、静雄はあの中学生の前で泣いて泣いて泣きまくったあげく、泣きつかれて寝てしまったということか。


 ものすごく迷惑をかけてしまっているではないか。


 再び肩を落とす静雄の様子に首を傾げながら、幽は言った。


 「とにかく、次会ったら、ちゃんとお礼を言いなよ」


 結果として、静雄がその時の中学生にお礼を言うことができたのは、それから十数年後。


 荒れに荒れた中学、そして高校時代を過ぎ、『取立て屋』という職に収まってからのことだった。


 いつもと同じ、池袋の雑踏の中に『彼』はいた。


 再び『彼』を目にした時、静雄は、驚愕した。


 声さえ、出せなかった。


 なぜなら『彼』は、あの時、あの公園で静雄の涙を拭ったあの時のままの姿で、そこに在ったのだから。


 しかし、静雄にとってそんなことは瑣末事だった。


 足が動く。


 『彼』の元へと向かうために。


 遠くから上司が自分の名を呼んでいた。


 それでも足は止まらない。


 気がつくと、静雄は『彼』の目の前に居た。


 『彼』は、驚いたように大きな目を見開いて静雄を見ていた。


 あの、と言いかけて静雄は沈黙する。


 自分は、もうあの時の小さい自分ではないのだ。


 身長は平均よりも高くなった。


 髪だって、染めている。


 何より、あの時からもう十数年の月日が流れている。


 『彼』が自分を覚えている確証など、何一つない。


 どうしたら、と静雄がぐるぐると考え始めた時。


 『彼』は言った。


 「・・・・・大きくなったね」


 投げかけられた言葉に、静雄は『彼』の顔を見た。


 十数年ぶりに見つけた『彼』の笑顔は、あの時と変わらない優しい笑顔だった。


 話したいことがある、と言って、『彼』と静雄は近くにあった喫茶店に入った。


 静雄が店に入った瞬間、店内の雑音が消える。


 小さく、『平和島静雄だ』と自分の名前が呼ばれるのを聞いた。


 そのことに少しばかり不快感を覚えたが、『彼』の目の前でキレたくはない。


 静雄は、自分を落ち着けるために小さく深呼吸をする。


 静雄を見てびくびくと怯えている店員に案内された席に、『彼』と静雄は座った。


 『彼』は、言った。


 「本当に、大きくなったね。 えっと・・・ごめん。 名前、聞いてなかったよね」


 「平和島、静雄です」


 「静雄くん、だね。 僕は、竜ヶ峰帝人です」


 仰々しい名前でしょ、と帝人は笑った。


 竜ヶ峰、帝人。


 静雄は何度も何度も、その名前を反芻する。


 「で、話したいことっていうのは、まあ僕自身のことなんだけど・・・」


 少し俯いて、出されたお冷を握りながら帝人は言った。


 静雄は耳を澄ます。


 帝人の言葉だけが聞こえるように。


 帝人が息を吸う音が聞こえた。


 「僕は、年をとることができません」


 静雄は驚かなかった。


 年をとらない、なんて普通ならありえないことだけれど、あの時の帝人と、今静雄の目の前にいる帝人は、絶対に同じ人間だと思ったから。


 「ごめんね、いきなりこんなこと言って」


 帝人は申し訳なく笑う。


 そんな顔が見たいわけじゃないのに。


 帝人にそんな顔をさせた自分が疎ましい。


 自己嫌悪の中、静雄は大切なことを思い出した。


 帝人に会いたかった理由を。


 なんで今まで忘れてたんだ自分。


 「あ、あのッ」


 「え、あ、はい。 何ですか?」


 「ありがとうございました」


 「へ?」


 「あの時、その、慰めてくれて」


 「・・・・・」


 「涙をぬぐってくれて」


 「・・・・・」


 「あ、あと、家までつれて帰ってくれて」


 「・・・・・」


 「ほんとに、ありがとうございました」


 やっと、やっと言うことができた。


 帰ったら幽に電話しなければ、と思い静雄は帝人を見た。


 帝人は、泣いていた。


 「あれ? 何だろ、何で涙なんか」


 帝人が自分の目元を拭う。


 拭いきれなかった涙が大きな目から玉になって頬を滑り落ちた。


 よくわからないけれど、帝人は泣いている。


 何か、涙腺を刺激するようなことを自分は言ってしまったのか。


 帝人を泣かせるなんて。


 自分は一度死んでくるべきかもしれない。


 静雄が本格的に自己嫌悪に陥る寸前に帝人は言った。


 「ごめん、なんか止まんないや」


 泣きながら、笑っていた。


 静雄の脳が、そう認識したとき静雄の体はすでに動いていた。


 先ほど、帝人を見つけたときのように。


 静雄の手が帝人の頬に触れる。


 そのまま涙の筋をなぞり、目尻を拭う。


 静雄の行動に驚いたのか、帝人が目を見開いた。


 その反動で流れた一際大きな雫を静雄の親指が拭う。


 静雄の手が離れると、帝人は微笑みながら言った。


 「あの時と、立場が逆転しちゃったね」


 静雄が一番見たかった表情で。


 優しく静雄に向かって笑う帝人を、静雄は心から愛しいと感じた。  











 Curea mirica のアスモさまより相互記念としていただきました。私の大好きな要素を詰め込んだ素晴らしい作品をありがとうございました!