歌うことはあなたにとってどんな意味を持つのかと問われれば、呼吸をすることとイコールで結ばれる行動だと帝人は即答する。そもそも自動思考人形(アンドロイド)である帝人に呼吸という概念は存在しないものだけれど、わかりやすく例えるのなら、それが最も適しているのだ。


 「循環機能装置、把握。咽喉機能装置、起動」


 自動思考人形が産業の場からどんどん幅を広げ、家庭にまで普及し始めたのはさほど最近のことではない。工場で使用されていた無骨なアームロボは姿を消し、代わりに人間と全く変わらぬ思考と外見をした自動思考人形が登場した。街中を歩く人間を、自動思考人形たちが客引きをするようになった。今や自動思考人形は人間の生活にがっちりと食いこんでいて、決して取り外すことのできない存在になっていた。


 「対象者二名、捕捉。音量制御、完了」


 自動思考人形には様々な型がある。高い戦闘力と統率力で主に施設や会社の警護に用いられる『罪歌(ガーディアン)』。様々な情報管理と対ウイルスに長けた『悪夢(サイケ)』。明るい態度とそれなりの戦闘力で商店の警護兼従業員として重宝されている『黄巾賊(ふりがな)』など。その中でも最も家庭に普及しているのが、その歌唱力と手際の良さで子守や家事などを担当する『歌姫(ボーカロイド)』だ。


 「自動思考人形(アンドロイド)(タイプ)歌姫(ボーカロイド)』、始動します」


 目を閉じる、歌うのに必要ないからだ。意識を耳からそらす、歌うのに必要ないからだ。嗅覚の機能を強制終了させる、歌うのに必要ないからだ。そっと身体の力を抜く、歌うのに必要ないからだ。


 この声さえ、あるのならば。


 「                   」


 人間の喉を模した装置から音が発生する。それは様々な音同士を重ね合わせることで、『歌姫』にしか歌えないものになっている。人間の喉では出せない音も、『歌姫』である帝人なら簡単に出せるのだ。


 「                   」


 人間で言うところの、ボーイアルトの声。『歌姫』の声は外見によって異なる。外見が少女なら少女の声を、老人なら老人の声を与えられるのが鉄則なのだから、十代後半の外見をしている帝人にボーイアルトの声が与えられたのは当然と言えた。


 最後の一小節を高く高く歌い上げて、帝人は柔らかな微笑を零した。それは歌いきったことによる満足感からくるものであって、決して、隣でそれを聴いていた子供たちに向けたものではなかった。けれどそれに気付かず、帝人を見上げる子供ふたりの顔は興奮に満ちている。


 「どうでしたか、ぼくの『歌』は?」


 明るい茶の髪を持つ小学校低学年の歳に相応する少年と、その弟に該当する黒髪の少年。先に口を開いたのは、全くの無表情の、けれど頬のわずかな紅潮から興奮していないわけではないと判断できる、黒髪の少年だった。


 「これがボーカロイドのうた?」


 「はい。正確には『ぼく』の歌です。ボーカロイドは同じ姿と声をしているものはありませんから。この声で歌えるのは、ぼくだけです」


 帝人はそこでようやくしゃがんで、子供ふたりと目線を合わせた。


 「平和島静雄さんと、平和島幽さんですね」


 インストールされているデータと照合して、子供ふたりの身元を判断する。どうして、と黒髪の子供――――幽が呟いた。それが何に対しての『どうして』なのか、帝人にはわからなかったけれど。


 「初めまして。ぼくは自動思考人形、型『歌姫』です。どうぞ帝人と呼んでください。今日からあなたたちのおうちでお世話になります」


 手を伸ばしてふたりの頭をなでた。されるがままの幽とは違い、兄の静雄は帝人の指がその髪に触れたとたん、まるで電流でも流れたかのような動作で強引に振り払う。


 「・・・・っ」


 帝人は驚いて目を丸くした。拒絶されたからではない。帝人の手を振り払った静雄の顔が、今にでも泣きだしそうなくらい、歪んでいたからだ。まるで拒絶してしまったことを後悔しているような反応を、帝人は笑う。


 「あまり自動思考人形をなめないでください。あなたがどれだけ力が強かろうが――――――その程度じゃ、ぼくは壊れない」


 あまりにもばかばかしくて愚かしくて無知すぎて、そしてかわいそうだったから、帝人は不敵に微笑んでみせる。平和島家に行く前にインストールされた情報から知った彼の冷蔵庫を持ち上げてるという怪力を、その程度と嘲笑ってみせる。強張る子供の身体を抱きしめてみせる。大丈夫だと、囁いてみせる。


 帝人は噴き出す血液も折れる骨も裂ける皮膚も潰れる肉も持っていない。静雄の力で壊してしまう脆い部品など、帝人には使われていない。彼を怖いと思う感情など、インストールされていない。


 「ぼくはあなたの、お友達になりにきたんですから」


 応じる声はなかったけれど、帝人にしがみついてくる体温と小さな腕から伝わる力がなによりも雄弁に静雄の感情を示していた。